大判例

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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)2660号 判決

控訴人 国

訴訟代理人 田中治彦 外二名

被控訴人 渡辺直経

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中被控訴人勝訴の部分を取り消す。被控訴人の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠関係は、左記に付加するほか原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

第一、被控訴人の主張

一、要素の錯誤について

本件土地は、台東区の端に位置して文京区に接するところにあり、台東簡易裁判所の管轄区域からみて場所的に偏在していること、池の端なる花街に近く、料亭や旅館が散在する間に挾まれていて、裁判所の敷地としてふさわしくないこと、裁判所を建設するには検察庁関係の庁舎等も併設しなければならないのに狭隘でその余裕のないこと、等の点からしてもともと台東簡易裁判所の敷地として不適格であつたのに、被控訴人は右敷地として適格があると誤信したため本件土地を売り渡したのである。この意味においても、被控訴人の右売渡の意思表示には要素の錯誤がある。

二、売買契約の目的不到達について、

本件売買契約は、本件土地を台東簡易裁判所の敷地とすることを目的としてなされたものであるところ、同裁判所は昭和三三年中に他の場所に建設されたので、本件売買の目的は最終的に同年中に消滅したから、本件売買契約はその基礎となつた事情を喪失し、その効力がなくなつた。

三、債務不履行に基づく契約の解除について本件売買契約については、裁判所側の代理人たる八杉市松は被控訴人に対し、本件土地・建物が被控訴人家の先租伝来の由緒あるものであつて、その価格も高価なところ、予算上台東簡易裁判所の敷地購入費としては金五〇〇万円以上絶対に認められないから名誉ある同裁判所の建設のために対価の不足分は国家に寄付する意味で譲渡を承諾してくれるように懇請したため、被控訴人は当時においても時価少なくとも金一、〇〇〇万円以上する右物件をその半額足らずの金五〇〇万円で提供したのである。したがつて、本件契約の一部には贈与の趣旨を包含するとともに、控訴人は本件土地上に台東簡易裁判所建設の義務を負担したものである。そして、控訴人は被控訴人に対し、右裁判所の建設を昭和二六年度またはその次年度に着手する旨約した。しかるに、同裁判所が昭和三三年六月既存の場所の敷地に増築建設されたことにより、本件土地は終局的に同裁判所の敷地とされないことが確定したのみならず、控訴人は本件土地買入後既に一七年間も放置し、あまつさえその間本件土地を他に売却しようとした事実がある。このようなことは、右義務に違反すること明らかであるから、被控訴人は最高裁判所に対して、昭和二八・九年頃しばしば八杉弁護士を介して右違約を責め、本件売買契約の解除ならびに本件土地・建物の返還を申し出たし、さらに昭和三三年一月以降栗林敏夫弁護士を代理人としてしばしば同様の申出をしたのである。

控訴人の「予算決算及び会計令」第六八条に関する後記主張(第二の二)はこれを争うし、控訴人が援用する最高裁判例は、競争入札の場合に関するものであるから本件に適切でない。

第二控訴人の主張

一、本件売買契約において、控訴人が本件土地上に台東簡易裁判所の庁舎を建設する債務をとくに負う旨を契約の要素として明示的または黙示的に約したことはなく、まして、控訴人が昭和二六年度またはこれに近接する年度内に同裁判所の建設に着手する旨被控訴人に表示したことはない。

庁舎の建設は、控訴人が自から公の事業として行うものであつて被控訴人に対するなんらの給付をも意味するものではないから、控訴人の債務とはいえず、その遅延が契約解除の原因となることもありえない。

本件売買代金額は適正妥当であるから、本件契約をもつて売買と贈与との混合契約と解することはできない。

(なお、原判決がその理由中で援用する土地収用法第一〇六条第一項は、土地収用の性質に着眼してとくに設けられた規定であつて、本件のような任意売買の場合にはその規定の趣旨を援用するに適しないのみならず、かえつて、このような売買戻請求権に関する特別規定が設けられているのは、土地収用の場合においてさえも、収用目的を実現すべき債務の不履行による解除というような理論構成のできないことを裏書するものである。)

本件のように、売買契約後目的物件の価格の騰貴の著しいこと顕著な場合において、右契約の解除により単純な原状回復を求めることは、公平の理念に照しても到底許されないことである。

二、本件契約当時施行されていた「予算決算及び会計令」第六八条によれば、「各省各庁の長又はその委任を受けた職員が契約をしようとするときは、契約の目的、履行期限、保証金額、契約違反の場に合おける保証金の処分、危険の負担その他必要な事項を詳細に記載した契約書を作成しなければならない」旨定められており、その趣旨は現行会計法第二九条の八の規定するところと趣旨を同じくし、契約の内容は、契約担当官と契約の相手方とが契約書に記名押印して契約書を作成したときに契約書の記載どおりに確定し、ここに契約は成立するものであるというにあること明らかである(最高裁昭和三五年五月二四日判決、民集第一四巻一一五四頁参照)。したがつて、本件売買契約も、随意契約ではあるが、同様にその契約書〈証拠省略〉の作成されたときその記載内容のとおりに確定・成立したものであつて、被控訴人の主張するような特約がされなかつたことは明白である。

第三証拠関係〈省略〉

理由

当裁判所も被控訴人の請求について原審が認容した限度において正当として認容すべきものと判断するが、その理由は左記のとおり訂正・付加するほか原判決理由第一項、第三項および、第四項に記載するところと同一であるから、これを引用する。

一、原判決原本八枚目裏六行目の「原告本人尋問の結果」の次に「ならびに当審証人渡辺富佐江(第一、二回)の各証言および当審における被控訴人の本人尋問(第一、二回)の各結果」を押入する。

同九枚目裏二行目の「価格の点での」を「価格の点でも、裁判所の予算が限られているので不足分は国家に寄付したと思つてぜひ承諾して貰いたいとの八杉弁護士の強い要望に説き伏せられて、」と改める。

同九枚目裏一行目の「するに際し」の次に「その折衝について権限を有していた」を挿入する。

同一〇枚目裏末行目の「事務局長と」を削除する。

同一一枚目裏九行目の「以上の事実と」の前に「本件契約の締結に当つて当事者間において本件土地に建設する台東簡易裁判所が昭和二六年度またはそれに近接する年度内に着工する旨表示されていたことを認めるべき証拠はないが、」を挿入する。

同一一枚目表九行目および同裏五行目の各「一四年間」をそれぞれ「一七年間」と改める。

同一二枚目表六行目から裏二行目までの括弧内の記載を「(前記(一)(二)で認定した事実からすれば、本件契約の実体は売買と贈与との混合契約であると解することができ、前記(三)で認定したような控訴人が被控訴人に対して暗黙のうちに負つた本件土地を台東簡易裁判所の敷地として使用すべき債務は、負担付贈与における負担とみることもできる点からしても、本件契約において右のような債務不履行による解除権を認めることが公平に合致すると考えられる。)」と改める。

同枚一三目表二行目から裏一行目までの(六)の記載を「当審証人渡辺富佐江(第一回)の証言および当審における被控訴人の本人尋問(第二回)の結果によれば、被控訴人は本訴提起の日(昭和三四年一月二七日であることは記録上明らかである。)の前頃に、進藤誉造弁護士を通じて最高裁判所に本件契約の解除を申し入れていることが認められるから、本件契約は本訴提起までには控訴人の債務不履行により適法に解除されたというべきであり(被控訴人は昭和三三年一月以降栗林弁護士を代理人としてしばしば本件契約の解除を申し入れたと主張しているが、本件事実関係においては、このような代理人の具体的氏名の相違があつても主張と認定との間の同一性は害されないから、右のような認定をしても弁論主義に違反しないと解する。のみならず、かりにそのように解されないとしても、遅くとも本件契約の解除の事実を記載した被控訴人の昭和四一年四月一八日付準備書面が陳述されたこと記録上明らかな同年六月六日午前一〇時の当審第三回口頭弁論期日には本件契約が有効に解除されたとみることができるから、解除の効力が生じたことに変りはない。)、右解除権の行使が前各認定のような本件事実関係のもとではなんら控訴人主張のように公平の理念に反するものとはいえないから、その原状回復の義務として、控訴人は本件土地・建物についての控訴人(最高裁判所)のための所有権取得登記を抹消し、これを被控訴人に引き渡すべき義務があるものというべきである。」と改める。

二、当審において控訴人があらたに主張する本件契約締結当時施行されていた「予算決算及び会計令」第六八条の解釈に関する主張(事実摘示第二の二)について案ずるに、前各認定のような経緯によつて成立した本件契約においては、これに基づいて契約書に明記されていないような権利義務が当事者間に生ずると解しても特段不当ではないし、控訴人援用の最高裁判例は、競争入札の場合に関するものであつて、本件のような随意契約の場合に関するものではないのみならず、右判例は「本契約は契約書の作成によりはじめて成立する。」旨を判示するだけであつて、控訴人のいうように「契約書の記載のとおりに確定・成立する」とは判示していないのであるから、控訴人の主張の論拠とするに足りず、いずれにしても、控訴人の右主張は採用することができない。

三、本件にあらわれたすべての資料によつても、以上の判断を動かすに足りるものはない。したがつて、被控訴人の本訴請求部分を認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。

よつて民事訴訟法第三八四条、第八九条、第九五条に従い主文のとおり判決した。

(裁判官 高井常太郎 高津環 弓削孟)

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